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江ノ電
フィッシュナビのブログでは、私と出会う魚や生物、そして鎌倉の身近な自然と季節を日常生活に交えて記事にしております。
普段そこにいる誰もが目にする光景ながらも、(当たり前すぎて)見過ごしがちな素朴なネタを見つけ、そこに秘めた魅力を浮き彫りにしていきたいと思います。自然や魚が相手なので記事の更新は気まぐれ!でもコツコツ地道に発信していきますので、読んでくださった皆様にとって何らかの情報になれば幸いです(月に1回/毎月1日に更新します!)。
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★私とスズキ釣り★ 30年前(昭和)のシーバスルアー(ちょこっと博物館)

  • 2017/04/01 17:26
  • カテゴリー:日記

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★近代のシーバスルアー達(90年代~現在まで)。
今となっては多種多彩に富むシーバスルアー。果たして30年以上前のシーバス事情はどうだったであろうか……

平成になってから30年が経とうとしております。
ここ最近、
フィッシングツアーの講習会では平成生まれのお客様が目立つようになりました。
私の仕事柄、お客様の年齢層は幅広いですが、ここ近年はハネムーンフィッシングでご利用頂くお客様が半数を占めており、そのお客様のご年齢層が20代~30代半が多いことからこれは必然的であります。きっとお客様にとって30年前なんてさぞかし大昔と思えるのでしょう…、よくお客様からは生まれた当時の情勢を聞かれます。

あとお客様とやりとりしてて、もう一つ印象的に感じたのは、お客様が普段されている釣経験がブラックバスよりもシーバスの方が多いという事でした。それはお住まいの場所にもよりますし、野池などのフィールドが減ったり、また時代的な背景もあると思いますが、この点においては今と昔は逆転しているのかなと思いました。
確かに、近所の釣具屋を見てもシーバス系のルアーがより一際目立ち、その品揃えは多種多彩でいつの間にか私の知らないメーカーも存在するようになってました。

永遠のハタチと思っていた私も現在42歳(1975年/昭和50年生まれ)、10年前なんてつい最近ですし、20年前だって学生時代で鮮明に覚えている、そして30年前でも十分に記憶が残っており、30年という道のりはそれほど過去ではない事に気づきました。
では30年前ってどんな世の中だったのか?記憶を辿りながら、当時の情勢や流行を簡単に記してみたいと思います。

30年前=1988年=昭和63年のことです。
経済成長を成し遂げた昭和晩期、世の中はまさにバブル絶頂期を迎えようとする頃です。政治は中曽根政権、国鉄が民営化されJRになった年、消費税というのはまだ存在してない時代でした。
通信においては、固定電話が主でFAXがやっと一般家庭にも普及し始めた頃(インターネットは存在しません)。因みに携帯電話事情はというと、は80年代初期になってやっと車両搭載型が登場!85年に車搭載型が切り離せるポータブル電話機(肩掛けタイプ)が登場しました(重さは3kg/レンタル代23万円~/通話料(月額23,000円~)。ただ携帯という名に相応しくない重々しさ、破格な料金設定といい、一般普及にはまだまだ程遠い時代でした。
音楽メディアにおいては、カセットテープがまだ市場の半数以上を占めている状態で、レコードが衰退し新に登場したコンパクトディスク(←CDの事ね)がレコードを追抜いた年でもありました(⇒のちにCDが市場を制覇します)。服装においてはジーンズはケミカルウォッシュ(
霜降り模様のジーンズ)で当時のファッションの一つでした。スポーツにおいては、相撲=横綱千代の富士、陸上=カールルイス、ボクシングではマイクタイソンが史上最年少の世界ヘビー級王者、各分野に絶対的王者が存在しました。
人気芸人の「平野ノラ」 がやっている芸風がそのまま反映された時代でありました(←本当です)。

因みに30年前のフィッシング事情はというと…
(PEでなくナイロンラインが主流であった事や、素材の進化により発生した釣法を除いては)概ね今と変わりなく、釣りの対象魚もほぼ同じ、各種ジャンルの釣りを楽しめる時代でありました。さらに分野をルアーフィッシングに注目すると、バスやトラウトフィッシングに関しては既に普及しており、特にバスフィッシングにおいては最盛期を迎えた頃でした。

ただ、30年前のスズキ釣り事情はどうかというと、一部大人のルアーマンがスズキを狙うという光景は見られましたが、特にスズキ釣りの専用ルアーというのは存在しなく、やっと日本の大手釣具メーカーもスズキ用のルアーに手をつけ始めた頃です。やっと “それらしき” ものを店頭で目にするものの、スズキのルアーフィッシングにおいてはまだまだ黎明期(れいめいき)で、この時点では海外産のルアーに軍配あり、つまり輸入品に頼る時代でありました。
ネーミングにおいても、「スズキ」のことを「シーバス」と呼ばれるようになったのも、この頃だったと思われます。
因みにルアーだったら何でもよかった訳ではなく、そこそこタフでボリュームがあり、風の中でもより遠くへ飛ばせる事が前提でありました。その理由はスズキはバスよりも遥かに大型になるしスズキが生息するのは河口~沿岸地域など風波を受ける広いフィールドになる為です。

当時スズキ釣りではどんなルアーが使われていたか?
30年前のルアーが手元に出てきた事もあり、当時の事を思い出しながら(私の分かる範囲で)当ブログ記事に書くことにします。勿論、これが地方地域のフィールドによって異なるかもしれませんが、概ねこんな感じということでご理解頂ければ幸いです。

■ラパラ社(北欧フィンランド)CD-11(ラパラカウントダウン11cm/16g)

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ラパラ…もう説明不要ですね。
ルアーをやっている人なら誰もが知ってるルアーで、誰もが一度は手にしたルアーで、誰もが恩恵を受けたルアーではないでしょうか。
敢えて “さわり(要点)” だけを記載させて頂くと、北欧フィンランドの貧しい漁師(ラウリ・ラパラ1905~1974)が生みの親で、そのラウリの考案されたルアーがのちに世界のトップメーカーになります。ラパラルアーの原型といわれるものは1936年(今から81年前)、コルクにアルミ箔を巻いたシンプルなものでしたが、この漁師の経験が蓄積されたこのルアーは驚くべき釣果を産み出した(これが後に名品オリジナルフローターの原型になったと言われております)。1939年冬戦争(ソ連がフィンランドに侵入しフィンランドが独立を守り抜いた戦い)でラウリは兵役に就きここでも大活躍。魚の調達でラウリの作ったルアー驚くべき威力を発揮したそうです。その噂はフィンランド中に広まり、戦争が終わる頃にはラウリのもとにルアーの注文が殺到、それを期にラウリは息子と共にルアー職人の道を歩む事となりました。

多くのラインナップがある中、1965年に往年の名作といわれるカウントダウンというシンキングミノーが発売され、これが20年後にスズキ釣りのルアーとしても注目される事となりました。1970年代後半になると遂に日本にもラパラルアーが輸入されるようになり、1980年代日本にルアーフィッシングブーム入ると爆発的人気(第二次ラパラブーム到来)となり、店頭には「これでもか~」と言わんばかりラパラが並び、どんなフィールドでもスタメン的なルアーであった事は確かです。

昔のラパラは画像のように口紅と腹巻が主流で手作り感がより強かったのが特徴です。80年代中期ぐらいになると口紅腹巻タイプからエアブラシ塗装に変わりましたが、当時はこれらが混在していた時期がありました。
プラグルアーの元祖である事は言うまでもありませんが、ハンドメイドルアーにおいても草分け的存在でプロアマ問わず多くのルアービルダーの手本になったのは言うまでもありません。

そして日本向けの “ジャパンカラ―” が発売されたのが今からちょうど30年前(1987年)、日本を象徴した紅白(レッドヘッド)カラーをはじめ、アユ、ワカサギ、オイカワなどの日本のべイトフィッシュを模倣したカラーも登場しました。ラパラはフィンランドのメーカーなのにこの柔軟性は素晴らしいもので、これらジャパンカラーは30年経った今も続き、当時のカラーも中古市場では多くのアングラーの虜になっている。値段は当時も今と変わらず1,500円ぐらいと記憶している。

■ボーマー社(アメリカ) ロングA(16A/15cm)

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1946年に設立したアメリカの超老舗ルアーメーカーであるBOMBER(ボーマー)社、
フローティングダイバー(巻くと深場に沈み、止めると浮く)の元祖ともいえ、どこよりも早くプラスチックルアーを世に出したメーカーとして知られております。
ボーマー(BOMBER)という社名を象徴した爆弾型のルアー(ボーマーベイト)をはじめ、モデルAやファットAなどの名品クランクベイトを産み出しアメリカのバスフィッシングに欠かせないルアーとなりました。
1970年代終わり頃に、ボーマー「ロングA」というミノーが発売されると、後にこれが日本でスズキ釣りルアーとして注目を浴びる事となりました。代表的なのはボディーに反射板が入っており体表にはリアルプリントが施し(見かけはシシャモのような…)、よく見るとラトルは入っているがウエイトが入っていません。分厚いプラスチックで作られているせいか、ボディーそのものに重みがあり、風が吹く中でも飛ばす事ができるルアーでした。
サイズについては、14A=4インチ(約10㎝)、15A=5インチ(約12㎝)、16A=6インチ(15㎝)とインチで関連しており、特にスズキ釣りにおいてはこの16A(15cm)が注目されました。
当時、日本には15cm超えのミノーはあまりなくフローティングミノーでかつ重さが25gぐらいあるのは非常に珍しく、その大きさゆえ店頭でも際立つ存在であったのを覚えております。
フックはイーグルクロ―社製のカドミウムフック(錆防止の為にカドミウムめっきされている)、当時の海でのルアー釣りでは主流になっておりました。しかし、これらカドミウムフックメッキ製品は、環境問題を懸念して、徐々に世から消えていったのを記憶しております。

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これは余談ですが、そのリア部(尾っぽの箇所)を見ると概ねの年代判別が可能で、このリア部がヒートン仕様(ネジ式)になっているのは、30年以上前(昭和時代)のものであるのは確かです。
ボーマーロングAは、70年代後半(79年だったかな?)に生まれ、その間はリアヒートン仕様でしたが、88年にプラドコ社に買収されるとリア部も8の輪(エイトリング)に変わったので、そこで概ねの年代を判定する事ができます。
中古市場でも、「ヒートン仕様」を「オールドボーマー」と表現される場合があり、今となってはそれが認知されつつあります。

また年代によりプリント柄が若干異なり、真中に黒い太い線がはいっていたり、素材がプラスチックではなくボーン素材(ウレタンなどの発泡砲系素材)で作られているものは、限りなく初期モノと聞いた事がありますが、これは定かではないので参考程度に…。
当時は繋ぎ目のバリが目立ち、そんな荒削りな外観ながらも、透明プラスチックなので内部構造が分かり、よく見るとシッカリした作りになっております(実践的機能美)。

このボーマーやラパラなどは30年前以上のものですが、特に懐かしいとは感じません。おそらく “懐かしい” と感じさせるモノとは、(昔は存在していたが)今は姿を消しているからであって、このブログで取り上げた2種のルアーにおいては、~40年も経った今でも姿形を変える事なく世界中で活躍しているルアーだからでしょう。まさに不朽の名作といえます。

追伸)
さて、この頃、日本国産のルアーはどうであろうか?
冒頭でも述べた通り、まだまだ黎明期でやっと日本のメーカーも手を付けはじめた頃。まだまだ個性も方向性が定まってなかったのが現状で、まずは外国製のルアーの模倣から始まったと思われます。
このように80年代初期~中期は海外メーカーが占めておりましたが、その後(80年代後半~90年代になると)日本国産のルアーが勢いを増し、海外ルアーは徐々に出番が少なくなったのを覚えております。

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