感動!オオサンショウウオ(特別天然記念物)に出会う *山陰の妖怪シリーズ(後編)*
日本固有種で世界最大の両性類であるオオサンショウウオ(大山椒魚)は国の特別天然記念物に指定されており、寿命は50年以上生きると言われております(過去の最大記録は全長150.5cm/体重は27.6kg/広島市安佐動物公園に標本が展示)。オオサンショウウオの祖先は恐竜時代から存在しており(化石の骨格により)、古代2300万年前から姿かたちを変えずに現在にまで至るので「生きた化石」とも言われております。中国山陰地方の清流に生息しており別名「ハンザキ」とも呼ばれ、ちょっとひと昔、地方山間部では貴重なタンパク源になっていたようです。
私にとって「オオサンショウウオ」とは図鑑の世界だけに登場し、まさに雲の上の存在でした。
まして山陰地方なんて私にとって縁もゆかりもない地でしたが、結婚を期に(カミさんは鳥取県大山町の出身)山陰が一気に近くなり、年に一度の山陰への里帰りが、私家族にとって年間行事の1つになりました。
そんな里帰時、恒例の川ガニ(モクズガニ)捕りでの出来事です。
仕掛けたカニ籠を引き上げようとしたらやけに重く、中を覗いたら茶褐色の肉感あふれる巨大生物にビックリ!カゴの中に入っていたのは、何と “オオサンショウウオ” でした。
地元の話では、このようにカニ籠に入る例は少なからずあるみたいで、おそらく網に入ったカニなどの獲物を捕食するために侵入したのではないかと考えられます。
「国の特別天然記念物」という肩書から、捕ることなんておろか、触れる事も禁止です。
タイトルでは感動!と記載しましたが「感動」というより、むしろ「罪悪感」に駆られてしまいました。兎にも角にも、まずはこのオオサンショウウオをここから出して逃がしてあげないとなりません。幸いこのカニ網は止め具を外せば容易に観音開きにできますので、カゴをを斜めにして恐る恐るタライの方へ誘導させ一安心。ちょっとだけ観察させてもらう事にしました。
それを見てカミさんが「あっハンザキ(地方名)だ」・・・と親しみ感あふれ、躊躇なく指でつついたり、脇腹のヒダヒダを伸ばして遊ぶ(←オイオイ)。子供の頃、誰々が煮て食べたよ(←え?)など、近所の誰々さんは餌付けしてペットのように可愛がっていたよ(←え?)などなど、オオサンショウウオを囲み(今となっては絶対NGな)異次元な会話が飛び交う・・。まぁ、特に珍しがる感じもなく、カミさんの家族や近所の人達にとって身近な存在で日常茶飯事のようです。その賑やかさにたお父さんが現れ「ハンザキに噛まれたら絶対に離さん!大怪我するので気を付けんといかんけん」とだけ忠告されましたが、それほど相手にされなかった事が逆に(罪悪感に浸っている)私にとって救いでありました。そしてすかさずメジャーを取り出し、慣れた手つきで全長を計測しておりました(日時・場所・サイズなどは貴重なデータとなり、後日、町役場に報告してました)。
くどいようですが、オオサンショウウオは「国の特別天然記念物」です。
速やかに撮影し、元の場所に戻してあげると、体をうねらせ深場へと消えていきました。感動の出会いと、呆気ない別れでした。
それにしてもオオサンショウウオを食べた事があるのは魯山人(ろさんじん)しかいないだろうと思っていましたが(魯山人味道より※)、まさかこんなに身近にこのような噂があったとは(驚)。こんなきわどい会話も、もう30年も前の出来事なので時効という事で、これもオオサンショウウオ生息地ならではの会話なのかもしれません。
【画像解説】
(1)中国地方最高峰の鳥取大山(標高1729m)
(2)大山6合目を超えると山壁の岩肌が露出し荒々しい景観をみせる。
(3)大山山麓には2800ヘクタールに及ぶ西日本最大規模のブナ林が広がる。
(4)人里近くの川でもこういう流込みや障害物もオオサンショウオ格好の棲家となる。
(5)全体像(大きさは約80cm強)、尾には仲間同士の戦で出来たと思われる古傷が残る。
(6)目は?とても小さくどこにあるか分からないほど。視力は弱いが嗅覚は発達している。
(7)前足の指は4本、後足の指は5本(赤ちゃんの手みたいで、かわいい)
(8)脇腹の肋骨(あばら骨)が存在しなく、体の側面に皮膚が集まりヒダ状になっているのが特徴。
(9)おはぎ?饅頭?それともお餅?いやいや正面から見た顔です。偏平で口が裂けるほど大きい。
(10)カワムツ、タカハヤ、ニシシマドジョウ、ドンコ、カニ類が多く棲んでおり川魚の宝庫。
(11)カニ捕り風景。カゴに魚のアラを入れて仕掛けておくと、川ガニ(モクズガニ)が入る仕組み。
私が思うオオサンショウウオの生息域とは、人すら寄せつけない深山幽谷に潜むというイメージがありましたが、まさかこんなに人里近くの川にも暮らしているとは思いませんでした。
そして私が初めてオオサンショウウオを見た感想は、両生類のくくりというよりは恐竜的であり…、骨董的でもあり…、独特な雰因気を醸し出しておりました。
その風貌からいったい何年生きているのだろうか?まるで山陰の妖怪を思わせるようであった。
「山椒魚」の名の由来は、山椒のような香りがすることからきています。
これは是非とも確かめてみたく適度な距離をとって匂いをクンクン嗅ぎましたが残念ながら何も匂いませんでした。おそらく匂いの元となる分泌液が出ないと山椒の香りを発しないのかもしれません。ちょっと残念ですが、これも一つの経験として大きな収穫でした。
オオサンショウウオのチャームポイントといえば、あまりにも小さすぎる瞳。視力が弱く目の前に獲物が通るまでジッと待ち続ける、いわば「待ち伏せ型の捕食者」で夜間に狩りを行います。
口は大きく裂け強力なアゴの持ち主。そこには小さな歯がたくさん並び、上顎には鋭い鋤骨歯(じょこつし)が備わっており、一度捕えられた獲物はもう逃げられません。週に一度、何かしらの獲物にありつければ、それだけで十分に生きていけるそうです。
相手は国の特別天然記念物です。見かけた場合には、触れる事なくそっと見守る事が前提です。
今回は触れずに逃がす事ができましたが、もし何らかで捕獲してしまい、緊急措置としてやむを得ず触らなければならない状況になった場合、(ご自身の身の安全も含め)その取扱い方に十分に注意してください。目の前に動くものは反射的にガブっと噛みつく性質があり、相手は強靭な顎の持ち主!もし手を噛まれようなら確実に大怪我します。
あとは管轄する行政(役場)へ報告しておくとよいでしょう(生息域の貴重な情報になります)。
【編集後記】
ここら一帯は30年程前に河川護岸や改修工事がなされ、今現在も下流域で大掛かりな護岸工事をしておりました。オオサンショウウオにとってより棲みづらい環境になりつつあろうが、このような人工物も何とか自分の棲家として利用しながら生き永らえているのですね。
後々、カミさんから聞いた話ですが、今から16年前の話、1993年(平成5年)この大山市内の川の上流に産業廃棄物処理場が出来ました。しかし国の特別天然記念物であるオオサンショウウオが生息地として知られており、地元の方々は「オオサンショウオを守る会」を立上げ住民活動を起こし、町と県に対して廃棄物処理場の中止を訴え続け、その翌年に引上げとなりました(現在その跡地は農免道路になっております)。
このようにオオサンショウウオの宝庫として現在も残っているのは、決して当たり前な事ではなく地元の方々の支えと絶え間ない努力があってからこそですね。
今年で6回目の里帰り、そのうち2回目撃しております(1度目は2006年1月、雪が降りしきる真冬に川底に歩いていたのを目撃。そして2度目は今回2009年9月)。偶然での確率はとても高く、いつの日か3度目の遭遇を心待ちにしている。
※)魯山人(ろさんじん/北大路魯山人/1883~1959(明治16年~昭和34年) がオオサンショウウオを食べたというのは有名な話。
魯山人著作『魯山人味道(中央公論社/1995年発売)』にオオサンショウオの事が詳しく書かれております。
陶芸・美術家だけでなく美食家としても名を馳せた魯山人、この中で多くの珍味を食べてきた中で一番美味なものは?…という問いに対して “オオサンショウオ” と答えています。スッポンとフグの合の子と例え、味はスッポンを品よくしたぐらい美味であるという。身を捌いた際に山椒の芳香が客間まで届きずいぶんと風情のある趣きを添えたのを覚えている…そう書き締めくくっております。このオオサンショウウオの記事そのものは昭和34年に書かれたものみたいですが、オオサンショウウオの料理レシピや客人をもてなす様子が6ページにわたり書いてあります。
勿論、相手は特別天然記念物なので、これを食材で再現する事は不可能ですが(そんなつもりも毛頭ありませんが)、オオサンショウウオを多方面から知る上で、非常に興味深い内容が書いてあります。興味のある方は是非読んでみてはいかがでしょうか。